【体験談】適応障害で仕事が続けられなかった私が、退職を経て見つけた再出発の道

適応障害で毎日がつらくて仕事が続けられない…そんな人に読んでほしい

a woman sitting in front of a laptop computer

仕事に行こうとすると涙が出てくる、眠れない、食べられない、何も考えられない――そんなつらさを抱えながら、「でも自分が頑張らなきゃ」と無理をしていませんか。

この記事は、適応障害と向き合っている、あるいは向き合ってきた方に向けて書いています。

特に、今まさに「毎日がつらい」と感じているあなたにこそ、読んでほしい内容です。

適応障害は、環境の変化や人間関係のストレスに心と体がついていけなくなって起こる、一時的な心の不調です。

「甘えているのではないか」「もっと強くならないと」と自分を責めてしまいがちですが、それは決して弱さではありません。

むしろ、真面目で責任感の強い人ほど、心をすり減らしてしまう傾向があります。

この記事では、適応障害と診断される前にどんなサインがあったのか、そしてそこから回復に向けてどう動いたのかを、体験談を交えてお伝えしていきます。

「自分のままでいい」と思える日を取り戻すためのヒントが、きっと見つかるはずです。

適応障害と診断される前、職場で何が起きていたか

適応障害の診断に至る前、多くの人が「これくらいなら我慢できる」と思いながら、日々のストレスを見過ごしてしまいがちです。

実際、私自身も職場の環境や人間関係に強いストレスを感じていながら、「これくらいのことで休むなんてできない」と耐え続けていました。

周囲の期待に応えたい気持ちや、失敗を恐れる思いが強く、自分の限界に気づけなかったのです。

特に、異動や上司の交代など、環境が大きく変わったタイミングで、急激に心身の不調が現れるケースは少なくありません。

毎朝起きるのがつらい、通勤中に吐き気がする、会議になると胸が締めつけられるような感覚になる……そんな症状が少しずつ現れてくるのです。

にもかかわらず、「自分の努力が足りないせいだ」と思い込んでいたことで、問題に気づくのが遅れてしまいました。

このように、適応障害は「目に見える原因があるストレス」に心と体がついていけなくなることで生じるため、無理をして頑張り続けるほど悪化しやすい傾向があります。

診断がつくまでの過程でどんなことがあったのかを振り返ることは、自分の回復の手がかりにもなります。

我慢しすぎた結果、心も体も限界に近づいていた

気がつけば、心も体も疲れ果てていた――。

それが、私が適応障害と診断されたときに感じた正直な気持ちでした。

毎日のように続く上司からの叱責や、同僚との人間関係のギスギスした空気。

誰にも相談できないまま、ひたすら「もう少しだけ頑張ろう」と自分に言い聞かせて働き続けていました。

最初はただ「ちょっと疲れているだけ」と思っていたのが、だんだんと眠れなくなり、食欲もなくなり、常に胃が重いような状態が続くようになっていきました。

集中力も落ち、ミスが増え、それをまた自分で責める――そんな悪循環の中に、いつの間にかどっぷりとはまっていました。

それでも、心のどこかで「自分が弱いだけなんじゃないか」と思い、なかなか立ち止まることができませんでした。

こうして限界を迎えたとき、ようやく病院を受診し、「適応障害」という診断を受けました。

そのとき初めて、自分がどれだけ無理をしていたかに気づいたのです。

振り返れば、もっと早く助けを求めていれば、ここまで悪化せずに済んだかもしれないと感じています。

我慢は美徳ではなく、自分を守るためのブレーキも必要だということを、ようやく理解しました。

「限界だった」と後から気づいた心と体の変化チェックリスト

適応障害と診断される前、私の心と体には明らかなサインが出ていましたが、そのときはそれが「限界のサイン」だとは思いませんでした。

今だからこそ言える、自分が見逃していた変化を以下に振り返ります。

これらのサインに一つでも思い当たることがあれば、まずは立ち止まって、自分の心と体の声に耳を傾けてみてください。

時期 心の状態 体の変化 当時の自分の思考 今だからわかるサイン
1ヶ月前 やる気が出ない 食欲が少し減る 「ちょっと疲れてるだけ」 軽いうつ症状の始まりだったかも
2週間前 仕事が頭から離れない 寝つきが悪い 「責任感がある証拠」 強いストレス反応の初期だった
1週間前 感情が不安定 朝に動悸が出る 「気持ちの問題だから頑張らないと」 無理に自分を叱咤していた
数日前 涙が出て止まらない 呼吸が浅くなる 「もう限界かもしれない」 心身ともに完全な警告サインだった
限界当日 頭が真っ白になる 身体が動かない 「もう無理。

全部放り出したい」

即時の休養と支援が必要な状態だった

通勤のたびに動悸がして、朝が来るのが怖かった

あるときから、朝の目覚めが苦痛になり、布団から起き上がるのに30分以上かかるようになりました。

支度をして駅へ向かう途中、決まって動悸が激しくなり、吐き気を感じる日もありました。

それでも「仕事を休むなんて無責任だ」と自分を奮い立たせ、無理やり電車に乗っていました。

しかし心と体は、毎朝「行かないで」と悲鳴をあげていたのです。

とくに週明けの月曜日はつらく、「またあの場所に行かなきゃいけない」と思っただけで涙が出そうになることもありました。

職場で過ごす時間が長引くほど、夜も眠れなくなり、翌日のことを考えては不安に押しつぶされそうになる日々。

こんな状態で毎日通勤を繰り返すことは、心にとって大きな負担になっていたのです。

通勤電車のなかで呼吸が浅くなったり、職場の最寄り駅に近づくほど気分が悪くなるような感覚は、明らかに「合図」でした。

それでも当時の私は、その合図に耳を傾ける余裕もなく、「我慢すればきっと乗り越えられる」と思い込んでいました。

しかし、心身が限界を超える前に、こうしたサインに気づいて休む勇気を持つことが本当に大切だったのだと、今は実感しています。

仕事は好きだったのに、職場の雰囲気に適応できなかった

私が担当していた仕事そのものは、やりがいを感じていて、決して嫌いではありませんでした。

資料をまとめたり、アイデアを出して形にする過程には達成感がありましたし、お客様から感謝されることもあって、「この仕事を選んでよかった」と思える瞬間も確かにありました。

けれど、そんな気持ちとは裏腹に、職場の空気に馴染めない違和感が、日を追うごとに強くなっていったのです。

たとえば、上司の指示が曖昧だったり、少しでも疑問を口にすると「空気を読め」と言われたり。

表面上は和やかでも、裏では陰口や評価のつけ方に偏りがあったり。

そんな環境の中で、私は常に緊張し、誰にどう見られているかばかりを気にして過ごすようになりました。

「仕事は好きなのに、職場がしんどい」という矛盾が、心をじわじわと疲弊させていったのです。

適応障害は、「仕事内容が合わない」ことよりも、「職場の環境や人間関係が合わない」ことで引き起こされるケースが多いと言われています。

私の場合もまさにそうで、仕事自体は好きでも、常に周囲に気を使い、気を抜けない職場の空気に適応できなかったことが原因でした。

無理に合わせ続けた結果、自分の感情や考えを抑え込むようになり、いつしか笑顔すら作れなくなっていたのです。

仕事は好きだったけど、職場に合わなかったと気づいた瞬間のまとめ

「自分はこの仕事が向いていないのかもしれない」と思い始めたのは、業務そのものに対してではなく、職場での立ち振る舞いや人間関係の中で感じる疲れが原因でした。

ふとした瞬間に、「この環境であと何年も働けるだろうか」と考えたとき、心の中で小さな「無理かもしれない」という声が聞こえたのです。

その声に正直になれたとき、ようやく「自分が悪いわけではない」「合わない環境にいるだけなんだ」と思えるようになりました。

その気づきは、適応障害と向き合ううえでとても大きなものでした。

好きな仕事であっても、それを取り巻く環境が心に合わなければ、長くは続けられない。

逆に言えば、自分に合った職場環境さえ見つけられれば、同じような仕事でも無理なく働き続けることができるという希望にもつながりました。

この気づきを得てから、私は「職場選び」に対する考え方を大きく変えるようになりました。

仕事内容だけでなく、雰囲気、価値観、働く人の人柄、そして自分が安心して過ごせるかどうかを重視するようになったのです。

たとえばやなどの就労移行支援サービスでは、職場との相性を見極めるための実習制度も充実しており、「職場に合うかどうか」を事前に確かめることができます。

今では、「合わない環境を我慢するより、自分に合う環境を探すこと」の方がずっと建設的で、自分らしく働ける道だと感じています。

仕事は好き、でも職場がつらい。

そんな矛盾に悩んでいる方には、まずは自分の気持ちを整理することから始めてほしいと思います。

合わないのは、あなたではなく、環境かもしれないのです。

好きだったこと 職場でつらかったこと 最初に出た違和感 続けて気づいたズレ 最終的に感じたこと
お客さんとのやりとりが楽しかった 上司の言葉がきつくて萎縮した チームに意見が言いづらかった 「正論」が強すぎる文化に疲れた 仕事は好きでも、この空気の中じゃ無理だと思った
商品やサービスに誇りを持てた 雑談・昼休みのノリが合わなかった 周囲のテンションについていけなかった ずっと“浮いてる”感じがあった 「合わない=悪い」じゃないと気づいた
成果を出せたときは嬉しかった 結果よりプロセス重視で窮屈だった 褒められるより注意ばかりされていた 成果が無視される空気に納得できなかった 「このやり方じゃ自分が潰れる」と限界を感じた

「空気を読む」のが当たり前な環境が、どんどん苦しくなった

私が働いていた職場は、いわゆる「暗黙のルール」が多く、「空気を読むこと」が求められる環境でした。

誰が何を考えているか、上司の機嫌はどうか、今は話しかけてもいいタイミングなのか――そんなことばかりを気にして働いているうちに、だんだんと本来の業務に集中できなくなっていきました。

問題があっても表立っては誰も口にしない、「察する」ことが当たり前の雰囲気のなかで、私は徐々に息苦しさを感じるようになりました。

何か意見を言おうとしても、「それは言わない方がいい」「雰囲気が悪くなる」と周囲に言われることが続き、自分の気持ちを飲み込むことが当たり前になっていったのです。

表情や態度で察することを強いられ続ける毎日は、まるで終わりのない緊張状態の中にいるようなものでした。

そのうち、常に他人の顔色をうかがいながら働くことに疲れ、自分が何を感じているのかもわからなくなっていきました。

「今日は大丈夫だろうか」「また機嫌を損ねてしまわないか」そんな思いばかりが頭を占めて、本来の業務以上に気を使うことに心が耐えられなくなったのです。

気づけば、職場に行くだけで強いストレスを感じるようになり、休みの日もその不安が頭から離れなくなっていました。

今振り返ると、その職場の価値観やコミュニケーションスタイルは、私の性格や感覚には明らかに合っていなかったのだと思います。

しかし当時の私は、「どこでもそれが当たり前なんだ」と思い込んでいました。

適応障害と診断されてからようやく、「空気を読むこと」が当然の職場ではなく、「言葉で伝え合えること」を大切にする環境を選んでいいのだと知りました。

やのような就労移行支援サービスでは、こうした「自分に合う職場の価値観とは何か」を一緒に探す支援が行われており、安心できるコミュニケーションのある職場選びを学ぶ機会も多くあります。

自分を無理に合わせるのではなく、自分に合う環境を探すことは、再出発のための大切な第一歩になるのです。

仕事を辞めるという決断と、その後の生活

適応障害やうつ病と向き合うなかで、「このまま仕事を続けていてもいいのだろうか」と考える時間が増えていきました。

責任感が強い人ほど、「辞めることは逃げること」「途中で投げ出すのはよくない」と自分を追い込んでしまいがちです。

私自身もそうでした。

しかし、心や体が限界を迎えてしまう前に、自分を守るために「辞める」という選択をすることは、決して間違いではありません。

実際に退職を決断したとき、私は不安と解放感の両方を抱えていました。

仕事を手放すことで、生活はどうなるのか、社会から取り残されるのではないかという不安がありましたが、それと同時に「もう頑張らなくていい」と思えることに、心が少しずつ軽くなっていくのを感じました。

その後の生活では、まず自分を癒やすことを最優先にして、徐々に日常を取り戻していきました。

退職は終わりではなく、回復と再出発のきっかけになる選択肢のひとつです。

「辞める=逃げ」じゃなかった。

自分を守るための選択だった

退職を考え始めたころ、最も悩んだのは「辞めることは逃げではないか」という罪悪感でした。

上司や同僚に迷惑がかかる、仕事を投げ出す自分を情けなく感じる――そうした思いが頭を離れず、しばらくは決断できずにいました。

けれどもある日、心療内科の医師にこう言われたのです。

「これ以上無理をすると、もっと深刻な状態になりますよ。

今は仕事より、あなた自身の命を守ることが大切です」と。

その言葉を聞いた瞬間、張りつめていた糸が切れたように、涙があふれて止まりませんでした。

その出来事が、自分を守るための選択肢として「辞める」という行動を肯定的に受け止めるきっかけになりました。

それまで私は、仕事を続けることが社会人として当然だと思っていたのですが、心や体の限界を超えてまで働くことが、果たして本当に正しいのかと、考えが変わっていきました。

自分にとって最善の選択が「休むこと」であるならば、それは逃げではなく、立ち止まるための勇気ある行動です。

退職後、日々のプレッシャーから解放されて、少しずつ自分を取り戻すことができました。

たとえば、やのような支援機関では、休職・退職を経験した人が安心して次のステップを踏めるように、生活支援や就労準備のプログラムを通じてサポートしています。

「辞める=逃げ」ではなかったと気づけたきっかけの記録

「辞めることは悪いことではない」と自分に言い聞かせても、なかなか心から納得できなかった私が、ようやくその意味を実感できたのは、退職後しばらく経ってからでした。

ある日の午後、近所の公園でぼんやり空を見上げていたとき、「ああ、今の自分は呼吸ができている」とふと感じたのです。

仕事をしていたときは、気づかないうちに常に息を詰めていたのかもしれません。

その感覚が、「自分を守る選択をしてよかった」と心から思えた最初の瞬間でした。

また、就労移行支援の体験相談に足を運んだとき、同じように退職を経験した方の話を聞く機会があり、「辞めたことで生きやすくなった」と語る姿に、自分の未来も明るくなるかもしれないという希望を感じることができました。

その後、支援機関のプログラムに通うなかで、「辞めた自分」に対しての否定的な感情が少しずつ和らいでいき、「これから自分に合った働き方を探していけばいい」という気持ちに変わっていきました。

大切なのは、自分の限界に気づいたときに、そこから逃げるのではなく、一度立ち止まって見直すことです。

辞めるという選択は、その場から「逃げる」ことではなく、自分の人生を「守る」ための大切な判断だったと、今ならはっきり言えます。

タイミング 当時の自分の気持ち 周囲の言葉・反応 その後の心の変化 今感じていること
退職を決めた直後 「自分は弱いのかも…」と落ち込んだ 「よく決断したね」と言ってくれる人もいた まずは休もう、という気持ちに切り替えられた 逃げたんじゃなく、“守った”んだと今なら思える
休み始めて数日後 罪悪感が強くて、時間の使い方に迷っていた 誰も責めてこない現実に少し救われた 朝に動悸が減り、安心して眠れるようになった まずは「心を休める」って本当に大事だった
支援制度を調べ始めた頃 「やっぱり働かないと…」と焦りが戻った 「焦らなくていい」と支援員の言葉に救われた “不安”を口に出せるようになった 環境が整えば、働く気持ちは自然に湧いてくる

最初は不安ばかりだったけど、少しずつ気持ちが落ち着いてきた

仕事を辞めた直後、私の心にあったのは「解放感」と「不安」が混ざり合った複雑な気持ちでした。

もうあの職場に行かなくていいという安堵は確かにあった一方で、「これからどうしよう」「働かない自分に価値はあるのか」といった不安が次々に押し寄せ、心が落ち着くことはありませんでした。

毎日が手探りで、これまで当たり前だった生活のリズムが崩れたことにも戸惑いを感じていました。

そんな日々のなかで、少しずつ変化が訪れたのは、日常の中に「安心できる時間」が増えてきた頃からでした。

朝ゆっくり起きて、無理のない範囲で家事をする。

天気の良い日は散歩に出かけ、カフェで本を読む。

そんな小さなことが、心の中に少しずつ落ち着きを取り戻すきっかけになっていったのです。

また、地域の相談支援窓口や就労移行支援の説明会に参加してみたことで、「いまの自分でもできることがある」と気づけたのも大きな転機でした。

特にやでは、まず生活リズムを整えるところから支援が始まり、無理のないステップで就労準備を進められるため、焦らず「回復」と「これから」に向き合うことができました。

最初は何をしても不安ばかりで、前に進む勇気すら持てなかった私ですが、「立ち止まってもいい」「休む時間にも意味がある」と思えるようになったことが、心の安定につながりました。

不安をゼロにすることはできなくても、それと共存しながら日々を過ごせるようになる。

それが、再出発の第一歩だったのだと、今では感じています。

退職後に利用したサポート制度や支援サービス

<以下発リンクする>

支援制度は個人の状況や地域によって異なる部分もあるため、まずは公的機関の正確な情報を確認するのがおすすめです。

厚生労働省「障害者の雇用について」

退職後に実際に使って助けられたサポート制度一覧

支援内容 活用したサービス どんな人におすすめか 受けてよかった点 注意点・ポイント
金銭的サポート 傷病手当金 会社員で休職中・退職直後の人 給与の約2/3が支給され安心できた 医師の診断書と会社の書類が必要なので準備は早めに
再就職支援 就労移行支援 働きたいけど体調に不安がある人 実際の職場体験やサポートが心強かった 利用には障害者手帳か診断書が必要
情報・制度相談 ハローワークの専門窓口 公的制度を調べたい人 担当者に聞けて不安が減った 担当者によって対応に差があるため相性も大事
精神面のケア 心療内科・カウンセリング 話すことで気持ちを整理したい人 「どうしてつらいのか」を一緒に考えてもらえた カウンセリングは保険外もあるので費用確認を

就労移行支援、傷病手当金、心療内科との併用が心の支えに

うつ病の治療と並行して「将来をどう築いていくか」を考えるには、心の安心と経済的な安定の両方が欠かせませんでした。

その中で、私を支えてくれたのが、就労移行支援・傷病手当金・心療内科の三つの存在です。

まず、心療内科では定期的な診察を受けることで自分の状態を客観的に把握でき、必要な薬の調整やカウンセリングを通じて、心の不調と付き合いながら過ごす土台を築くことができました。

また、会社を休職していた期間には「傷病手当金」を受給することで、一定の収入が確保され、経済的な不安を最小限に抑えることができました。

この制度のおかげで、無理に復職を急ぐ必要がなくなり、「治療に専念する」という本来の目的に向き合えたのです。

さらに、大きな支えとなったのが就労移行支援でした。

就労に向けた準備を段階的に進めるこの制度では、生活リズムの回復、ビジネスマナーの習得、コミュニケーションの練習、職場体験などを通じて、少しずつ「働く感覚」を取り戻すことができます。

LITALICOワークスやmanaby、ココルポートなどの事業所では、障害に配慮した個別支援を受けられるため、焦ることなく、自分のペースで進めることができました。

この三つの支えがあったことで、私は安心して「今は自分を整える時間」と割り切れたのです。

治療と経済と就労準備、そのどれか一つが欠けていたら、今のように前を向くことはできなかったと感じています。

「また働きたい」と思えるようになるまでにやったこと

うつ病を経験したあと、「また働きたい」と心から思えるようになるには、長い時間と丁寧なプロセスが必要でした。

一度心が折れた状態では、以前のように仕事へ向かう意欲やエネルギーは簡単には戻ってきません。

焦って無理をすると、再び体調を崩すことになりかねないため、私は「働く」ことを目指す前に、まずは「生きるリズムを取り戻す」ことから始めました。

具体的には、毎日同じ時間に起きて、決まった時間に食事をとること、短時間でも外に出て日光を浴びること。

そんな小さな習慣を少しずつ積み重ねることで、心と体のリズムが安定してきました。

同時に、就労移行支援を活用する中で、「今日は施設に通うだけでOK」「明日はプログラムに参加してみよう」といった段階的な目標を設定し、無理のない挑戦を繰り返しました。

また、同じ境遇の仲間との出会いや、支援スタッフとの対話を通じて、自分の弱さや不安を共有できる場があることも大きな支えとなりました。

「また働きたい」と思えるようになったのは、「自分に合った働き方がある」と確信できたからです。

誰かと比べるのではなく、自分のペースで進むことを許せたとき、自然と前向きな気持ちが芽生えていったのです。

焦らず、自分のペースで「小さな挑戦」を繰り返した

体調が回復に向かってきたとき、私はいきなり就職を目指すのではなく、「小さな挑戦」を繰り返すことを意識しました。

これは、日々の生活の中に「できた」を少しずつ増やしていく作業です。

たとえば、決まった時間に起きて朝の散歩をする、就労移行支援の軽いプログラムに参加してみる、簡単な課題に取り組んでみる。

そうした行動を一つずつ積み重ねることで、「自分は少しずつでも前に進めている」という感覚を得られるようになりました。

初めから大きな目標を設定すると、達成できなかったときに落ち込んでしまいがちです。

だからこそ、自分の調子に合わせて「今日は5分外に出られた」「今日は施設まで行けた」といった“成功体験”を積み上げることで、自信と自己肯定感を少しずつ取り戻すことができたのです。

特に就労移行支援では、毎日の活動記録をつけたり、スタッフと一緒に目標を設定することで、「できたこと」に気づく習慣が身につきました。

manabyやキズキビジネスカレッジでは、オンラインや対話形式の支援も取り入れており、自宅でのトレーニングやリフレクションも可能です。

「小さな挑戦」は、働く力を育てるだけでなく、自分自身を大切に扱う姿勢を取り戻すための道でもあります。

焦らなくていい。

止まってもいい。

でも、また一歩踏み出せる。

そんな日々を続けることで、いつの間にか「働く自信」が自分の中に根づいていたのです。

チャレンジしたこと 最初の気持ち やってみた感想 気づけた変化 続けるコツ
朝決まった時間に起きる 面倒だけどやらなきゃ… 起きられた日はちょっと気分がいい 生活リズムが整うと心も安定する 無理せずアラーム1本から始める
コンビニまで出かける 外に出るのがちょっと怖い 短時間なら大丈夫だと思えた 外の空気を吸うだけでリフレッシュ 時間帯は人の少ない朝が◎
スマホの通知をオフにする 不安だけど試してみよう 気が散らずに落ち着けた 自分の時間を取り戻せた感覚 勇気を出してまず1日やってみる
日記にひとこと書く ネガティブなことしか出ない…? 意外と書けた。

気持ちの整理になる

感情の波に名前がつくようになった 書かない日があってもOKと決めておく

通勤のリハビリ、趣味の復活、1日1つの予定から始めた

うつ病からの回復期において、「また働きたい」と思っても、すぐにフルタイムでの就労を目指すのは現実的ではありませんでした。

私が大切にしたのは、まず日常生活を無理なくこなせるようになること、そして通勤や人とのやり取りに慣れていくための“リハビリ”を意識的に取り入れることでした。

最初の一歩として始めたのが、「1日1つの予定」をこなすという目標です。

たとえば「午前中にスーパーへ行く」「午後に30分だけ散歩する」「支援事業所に顔を出す」など、あくまで負担にならない範囲の予定を1つだけ入れるようにしました。

これを繰り返すことで、体と心のリズムが徐々に整い、自信にもつながっていきました。

また、意外と効果的だったのが「趣味の復活」です。

以前好きだった読書や音楽、ゲーム、写真などに少しずつ手を伸ばすことで、「楽しい」と感じる時間が戻ってきたのです。

そうした“心が動く瞬間”を大切にしたことで、「自分は回復に向かっている」と実感することができました。

さらには、就労移行支援のプログラムの一環として、実際の通勤を想定した時間に外出する“通勤トレーニング”にも取り組みました。

これは、仕事を再開するための大きなステップとなり、現実的に働く準備ができているという安心感にもつながりました。

このように、「小さく始める」「生活リズムを取り戻す」「無理のない範囲で外出する」といった積み重ねは、社会復帰への確かな準備となります。

焦らず、自分の調子に合わせて進めることが、結果的には「また働く」という目標に近づく一番の近道でした。

理解ある職場との出会いで、自分を責めずに働けるように

これまでの職場では、「周りに迷惑をかけてはいけない」「不調を見せてはいけない」と常に自分を押し殺して働いていました。

その結果、限界まで無理をし、うつ病にまで至ったという経緯があります。

だからこそ次の職場を探すときには、「心身の状態に理解があり、自分らしく働ける職場」を最優先に考えました。

障害者雇用枠での転職活動を通じて出会った企業では、面接時から「どんな配慮が必要か」「どんな働き方が合っているか」を丁寧に聞いてくれました。

そうした対応に触れたとき、「ここでは無理をしなくてもいいのかもしれない」と感じられたのです。

さらに、通院や体調管理の必要性にも理解を示してくれる企業が多く、定期的な休憩や業務量の調整といった対応をしてもらえることで、安心して働くことができました。

就労後も、支援機関からのフォローアップや、職場内での相談窓口がしっかり機能していることで、「また調子が悪くなったらどうしよう」という不安も減っていきました。

何よりも大きかったのは、「調子の良し悪しを自分で把握し、無理をしない働き方を選べる」ようになったことです。

“理解ある職場”と出会って変わった自分の感じ方と行動

理解ある職場と出会ってから、私自身の感じ方と行動には明らかな変化がありました。

以前は「迷惑をかけてはいけない」という思いから、自分の限界を無視して頑張りすぎる傾向がありましたが、今は「無理なときは無理だと伝えてもいい」と自然に思えるようになりました。

これは、職場の上司や同僚が病気に対する正しい知識と配慮を持ってくれていること、そして、日常的にコミュニケーションが取りやすい雰囲気があるからこそ得られた感覚です。

たとえば、業務開始前に「今日は少し集中力が落ちているかもしれません」と一言伝えるだけで、無理なく一日を過ごすことができます。

こうした「自分の状態を共有する」ことが当たり前になった職場では、自分を責めることがなくなり、そのぶん仕事への意欲や継続する力が増していくのを実感しました。

また、そうした環境にいると、自分だけでなく周囲の人の状況にも自然と気を配れるようになり、人間関係も良好に保たれるようになります。

働くことは、ただ収入を得るだけでなく、社会とのつながりを感じたり、自分の役割を実感したりすることでもあると、あらためて気づかされました。

「配慮される」という経験は、「自分がここにいていいんだ」と思える安心につながります。

その安心が、自分らしい働き方を支えてくれているのです。

理解ある職場との出会いは、再出発を支える大きな土台となりました。

前の職場で感じていたこと 今の職場での対応 働き方の変化 気持ちの変化 続けられる理由
休みを言い出すのが怖かった 体調優先で調整してもらえる 自分のリズムで仕事ができる 不安よりも「任せてもらえてる」と感じる “人として見てもらえている”安心感
ミスを責められた フォローが当たり前の文化 ミスを恐れずに動けるようになった 自分を否定しないで済むように ミス=成長の一部と捉えてくれる
同調圧力がつらかった 一人ひとりの事情が尊重される 無理せず自分のペースでできる 他人と比べることが減った 比較されないことが一番の心の余裕
頑張り続けることが正義だった 休むのも働くのも“選んでいい”雰囲気 緊張しすぎず働ける 仕事を「続けたい」と思えた 働ける日を大事に思えるようになった

“気を使わなくてもいい職場”があることを初めて知った

うつ病を経験する以前の私は、「職場は我慢して気を使うのが当たり前」「人間関係に疲れても、仕事なんだから仕方ない」と思い込んでいました。

そんな価値観の中で働き続けた結果、自分をすり減らしてしまったのです。

しかし、障害者雇用や就労移行支援を通じて出会った職場では、それまでの常識が覆されました。

初めて「気を使わなくてもいい」「無理をしなくてもいい」と思える環境に出会い、驚きと安心を感じたのを今でも覚えています。

その職場では、体調が悪いときに「今日は静かに過ごしたい」と伝えても受け入れてもらえますし、集中できない日はタスクを見直す提案までしてくれました。

こうしたコミュニケーションができるのは、企業側が「人にはそれぞれ違いがある」という前提で配慮や理解を重ねているからです。

過去の職場では、“気を使って当然”という雰囲気に常に緊張していましたが、今の職場では“そのままで大丈夫”という空気が流れており、自分の存在が認められている感覚があります。

この環境に身を置くことで、自分自身の心の緊張がゆるみ、自然な笑顔で仕事ができるようになりました。

「働く=我慢」という考えから、「働く=安心できる居場所を見つけること」へと、意識が大きく変わったのです。

そんな職場が世の中に存在することを知ったことが、私にとっては大きな希望でした。

働きずらさを感じている人におすすめの転職サービス

うつ病や発達障害、不安障害など、精神的な困難を抱える人が「働きたいけれど自信がない」「職場での人間関係がしんどい」と感じることは少なくありません。

そうした方にこそおすすめしたいのが、障害者雇用に特化した転職支援サービスや就労移行支援事業所です。

これらのサービスは、一般の転職サービスとは異なり、個々の状態や特性に合わせたきめ細かな支援を提供してくれます。

たとえばでは、精神障害に理解のあるキャリアアドバイザーが在籍しており、求職者のペースに寄り添った転職活動をサポートしてくれます。

履歴書の書き方や面接対策だけでなく、企業との間に立って調整をしてくれるため、「自分の症状をどう伝えるか」に悩んでいる方には特に心強い存在です。

または、障害者雇用に特化した求人が豊富で、企業の職場環境や配慮内容についても事前に詳しく教えてもらえるため、入社前から安心感を持つことができます。

さらに、やのような就労移行支援事業所では、生活リズムを整えるところから始まり、ビジネススキルの習得や職場実習まで、一人ひとりに合わせたトレーニングを受けることができます。

「もう一度働きたいけど、どうすればいいかわからない」と感じている方は、まずこれらのサービスに相談してみるのがおすすめです。

自分を理解してくれる専門家と一緒に歩んでいくことで、無理のない働き方や、自分に合った職場がきっと見つかるはずです。

焦らなくて大丈夫。

少しずつ、あなたに合った道を一緒に探していきましょう。

働きづらさを感じる人向け 転職支援サービス比較表

サービス名 主な対象 特徴 サポート内容 おすすめポイント
dodaチャレンジ 精神・発達・身体障害のある方 専任エージェントが就職先を提案 面談・求人紹介・面接対策 配慮がある職場に出会いやすい
LITALICOワークス 障害や病気のあるすべての方 働く前の“準備”に強い 就労移行支援+就職サポート 生活リズムやビジネスマナーから学べる
ランスタッド 一般転職希望者、障害者向け部門あり グローバルな求人も多数 キャリア面談・求人紹介 大手ならではの幅広い選択肢
atGP 障害者手帳がある方中心 高品質の求人多数、エージェント制 履歴書添削・面接同行など 面接同行や条件交渉まで任せられる安心感
ミラトレ 精神障害・発達障害の方に特化 実践型の就労移行支援 職場体験・訓練+就活サポート 「働く前に試せる」から不安が少ない

dodaチャレンジ|職場環境とメンタルの両面でサポートしてくれる

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関連ページはこちら:「dodaチャレンジ 口コミ」へ内部リンク

LITALICOワークス|適応障害でも働ける準備を一緒にしてくれる

→LITALICOワークス アフィリリンクを貼る

ランスタッド|無理のない働き方を重視する求人が探せる

→ランスタッド アフィリリンクを貼る

atGP|配慮ありの職場紹介で「また働こう」と思える支援

→atGP アフィリリンクを貼る

ミラトレ|体調や不安に合わせて社会復帰をサポートしてくれる

→ミラトレ アフィリリンクを貼る

【まとめ】適応障害 仕事 続けられない|働けない自分を責めないで

適応障害やうつ病を抱えて働けなくなったとき、多くの人は「自分が弱いからだ」「頑張れない自分に価値がない」と自分を責めてしまいがちです。

しかし、それは決して「あなたのせい」ではありません。

職場環境や人間関係、過度なストレスが心や体に影響を与えた結果であり、誰にでも起こりうることです。

だからこそ大切なのは、今の自分を否定せず、少しずつ前を向いて歩き直すことだと思います。

本記事では、適応障害やうつ病で一度は仕事を離れた方が、どのように心と体を整え、転職活動を進め、理解ある職場と出会うまでのプロセスを丁寧に振り返りました。

最初は「休む勇気」から始まり、就労移行支援や心療内科、傷病手当金など、制度や支援を上手に活用することで、自分らしい生き方を取り戻していきました。

そして、障害者雇用という新たな選択肢を知り、“気を使わなくてもいい”職場と出会ったとき、ようやく「ここなら働ける」と感じられるようになったのです。

適応障害で働けなくなった経験は、あなたを傷つける出来事だったかもしれません。

しかしその経験があったからこそ、自分を大切にすることの意味や、本当に必要な環境の大切さに気づけるようになります。

働くことがすべてではありません。

今はゆっくり休んで、少しずつ、自分のペースで回復していけばいいのです。

そして、再び動き出したいと思えたときには、あなたに合った職場や支援がきっと見つかります。

どうか、自分を責めずに、そのままの自分を認めてあげてください。

それが新しい一歩のはじまりになります。

関連ページはこちら

「私にもできた」——うつ病を経験した私が転職に踏み出し、再出発を果たしたリアルな体験談をまとめました。

同じように悩んでいる人にとって、少しでも参考になれば嬉しいです。

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